超芸術トマソンとモナドロジー~ライプニッツの街の比喩を通じて~

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1986年に刊行された『路上観察学入門』の「超芸術観測の実際」という章にライプニッツが引用されている。それはモナドロジー第57節の一部、「同じ町でも異なった方角から眺めると、まったく別な町に見えるから、ちょうど見晴らしの数だけ町がある」[1]である。

この章はトマソン観測センター会長鈴木剛[2]によって執筆され、その内容はトマソンの類別紹介とトマソン観測センターによるトマソン観測作業の方法の紹介である。そして、その跋文として「御茶の水三楽病院無用門」の解体を惜しみつつ、新しいトマソンの人知れぬ形成に期待を馳せることが述べられ、先のライプニッツの引用をもってこの章が閉じられている。

果たして、ここでライプニッツの引用がなされたのは何故であるか? 「路上観察学会」は正式には「学会」ではなくパロディ的な組織である。また、彼らの記述そのものも制度や規範としての芸術や学術をアイロニカルに笑うという側面を持つ。これらのことを考慮すると、ライプニッツの引用も「虎の威を借る狐」を装う、すなわちディレッタントな作法を自らあえて振る舞うことで戯画的に描き出すという意図として解釈できるかもしれない。そして、この解釈は一定の正当性を有するだろうが、しかし片手落ちではないだろうか?

というのも、引用された文言の意味内容と彼らによるトマソン観測の実質的連関は未だ問われていないからである。上記の解釈はまだ修辞的な次元にとどまっている。そしてそこにとどまる限り、この引用はライプニッツではなく、町や路上、散歩に関わる言説(例えばベンヤミンのパサージュ論やペリパトス学派の逸話)であっても良かったということになってしまう。モナドロジー第57節は「超芸術トマソン」においてどのような意味を持ちうるのか。

本論では、このモナドロジー第57節を呼び水にして「超芸術トマソン」とモナドロジーの関係を検討したい。そのためにまず「路上観察学会」と「超芸術トマソン」についてその特徴を概観する。次にその特徴とモナドロジーを突き合わせ、両者に一致が見られることを指摘する。そして、この一致においてモナドロジーの普遍性を確認した本論は「超芸術トマソン」に対してなされる全体性の欠如という指摘に対して、モナドロジーを援用することで応えたいと思う。

まず、「路上観察学会」について説明しよう。それは1986年に赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、荒俣宏、林丈二、鈴木剛らによって設立された団体であり、路上に転がり潜む様々な物品や事態を発見・観察し報告することを営みとしている。藤森照信の「路上観察学会」設立へのマニフェストによれば、「路上観察学会」は「消費帝国に協力的な近年の都市論」[3]や「調和ある全体性への回帰願望」を秘めた「空間派」[4]とは異なっていると言われる。なるほど、たしかに路上観察学会とそれらは街・路上・都市の中での観察をベースとする点では同じである。しかし、藤森曰く、「路上観察学会」は「空間よりは個別の物体のブツとしての表情にチョクに反応する」[5]のである。「路上観察学会」の構成員がこの感覚(藤森は「物件(オブジェ)感覚」と呼ぶ)を有していることは彼らが観察・報告している事例、例えばハリガミや建物のカケラ、ドブ川の浮遊物から明らかであろう。そして、路上観察学会発足の契機となった「超芸術トマソン」の発見こそ彼らのこの感覚をまさに表す最たるものなのである。

さてここで、「超芸術トマソン」について確認したい。それを赤瀬川は「町の各種建造物に仕込まれたまま保存されている無用の長物的物件」[6]と端的に定義している。しかも、「超芸術トマソン」において、芸術における作者のような作者はおらず、ただそこには「超芸術トマソン」を発見する者がいるだけである[7]。すなわち、それは「無作為性と作家性の消滅を原理とする。」[8]なるほど、単なる便器に署名することで制度としての芸術を暴露したデュシャンさながらに赤瀬川は作者の消滅を「超芸術トマソン」の発見を通じて体現しようとする。しかし、彼の著述活動は「見ること即表現すること」ということを逆説的に浮き彫りにしてしまっているのである。

以上、「路上観察学会」と「超芸術トマソン」について概観してきたわけだが、ここからは「超芸術トマソン」とモナドロジー第57節およびモナドロジーの諸節との関係を検討していきたい。

第一に、町の路上に潜むトマソンを発見しようとする観測者の眼差しはどこかへの単なる道中として路上をただ漫然と歩く歩行者の眼差しとは明らかに異なる。その特異さは第57節、つまり「異なった視線/見晴らしの数だけ町があること」をことさらに際立てて示す実例となりうるだろう。

次に、「超芸術トマソン」発見の営みは街に潜む微小表象(モナドロジー第14-21節)を意識される表象へもたらすこととして解釈できるように思われる。路上観察学会発足から16年後に出版された写真集での赤瀬川のまえがきは―「路上には多くの無意識が隠れている。知らずに出来てしまったものがたくさんある。無意識も隠れているし、偶然も隠れている」[9]―この解釈を許してくれるだろう。

第三に、「見ること即表現すること」としての「超芸術トマソン」の発見は表象(=perception)が表現(=representer)や表出(=exprimer)であるとするモナドロジーに拡大的に適うものであるといえるだろう。

このように「超芸術トマソン」の構造とモナドロジーの論述は単なる親和性というよりもむしろ相似的一致が見られる。この一致は「モナドロジーに外がないこと」即ちモナドロジーの普遍性の事実的な証左とみなしうるものである。そして本論はモナドロジーを形式的に解釈に利用するのではなく、この証左への自覚に基づきモナドロジーを以て「超芸術トマソン」を解釈する可能性を提示したい。

南後由和[10]や先に引用した田中[11]によって、「超芸術トマソン」―特に赤瀬川によるそれ―は全体性への志向を欠如しているのではないだろうかという指摘がなされている。しかも、このような指摘は路上観察学会の構成員である藤森からもなされているのである[12]。鈴木剛執筆の「超芸術観測の実際」で示された観測作業の方法とその集団的実行はこの欠如性を補完しうるものとして捉えることも可能かもしれない。しかし、赤瀬川はこのような試みをも面白さという点で否定するのである。しかも、「超芸術観測の実際」が掲載された『路上観察学入門』での対談においてである。

「考現学的なことを、路上の例えば群衆の動きとかいうのをたくさんの写真で、わりと機械的に大勢動員してばばっとやっているのがあったけど、それはもう何だかつまんないのね。」[13]

確かに、鈴木の紹介する観測方法は赤瀬川による「超芸術トマソン」の洒脱な記述と比して精彩に欠け、灰色である。それは観測作業の最終工程である報告用紙作成の例から如実に分かる[14]。それでは赤瀬川はこの補完の可能性を自ら棄却してしまおうというのだろうか。はたして彼ないしは「超芸術トマソン」の営みは全体性への志向を持ち得ないのだろうか。このような問いに対しモナドロジーを経由する本論は次の引用を以て応える。それはモナドロジー第58節、鈴木が引用した節の次節である。

「このようにして、できる限り多くの変化が、しかもできるかぎりりっぱな秩序とともに、手にはいるわけなのである。言いかえるなら、できるかぎり多くの完全性が、手にはいるわけなのである」[15]

モナドロジーの立場に立つ限り、「超芸術トマソン」ひいては「路上観察学会」が全体性への志向を欠如していたと言うことは出来ないだろう。そこにはすでに全体性への志向が構造として含まれてしまっているのである。さらにライプニッツは言う、「どのモナドも、錯雑した仕方ではあるが、みな無限へむかい、全体へ向かっている」[16]と。

最後に、本論にとっての、鈴木によるライプニッツ引用の意味を述べることで本論を閉じたい。トマソン観測の方法と集団観測の実践を示した鈴木の試みは「超芸術トマソン」に対して後年、指摘されることになる全体性への志向の欠如を補完しうるものになりえたのだが、実際には赤瀬川によってその選択肢は否認されてしまった。しかし、鈴木の為したモナドロジー第57節の引用は我々に対してこの全体性への志向の欠如がそもそもありえないということを解釈させる可能性を投げかけていたのである。

[1] 赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編「超芸術観測の実際」『路上観察学入門』筑摩書房、1993年、258頁。(以下、『路上観察学入門』は『入門』と略記)

[2] 彼は赤瀬川原平の「考現学教室」の生徒であり、トマソン観測姿勢を買われて赤瀬川より会長に任ぜられた。しかし、「超芸術トマソン」といえば会長の鈴木ではなく、赤瀬川であるというのが一般的だろう。

[3] 「路上観察の旗の下に」『入門』、19-20頁。

[4] 同上、30頁。

[5] 同上、27頁。

[6] 「我いかにして路上観察者となりしか」『入門』、13頁。

[7] 赤瀬川原平著『超芸術トマソン』筑摩書房、1987年、25頁。

[8] 田中純著「路上の系譜―バラックあるいは都市の忘我状態―」『路上と観察をめぐる表現史 考現学の現在』フィルムアート社、2013年、50頁。

[9] 赤瀬川原平著『路上の神々』佼成出版社、2002年、8頁。

[10] 「路上観察学会は…(中略)…都市の全域性へのまなざしを放棄したかのように局所的な細部や表層と戯れていた」南後由和著「笑う路上観察学会のまなざし―都市のリズム分析へ向けて―」『路上と観察をめぐる表現史 考現学の現在』フィルムアート社、2013年、136頁。

[11] 「超芸術的物件という非都市的存在のその否定性を拠点にして『全体』の構造を反転させる思考はありえなかったのだろうか。」田中純著前掲書、54頁。

[12] 「おそらく原平翁は、この世の中に全体とか構造とか呼ばれるものがあることをついに知らずに生涯を終わったと思う。」赤瀬川原平著『超芸術トマソン』筑摩書房、1987年、492頁。先の二人と比べて、藤森の語調は赤瀬川に肯定的であることを付しておく。

[13] 「街が呼んでいる」『入門』、103頁。

[14] 「坂の片側の擁壁を沿うように、柱上の突起が並んでいる。擁壁からの距離はほぼ20cmで突起の感覚は1.5m~2m。材質は主に花崗岩及びコンクリートで、一本だけ黒っぽい自然石のものがある。」「超芸術観測の実際」、『入門』257頁。

[15] ライプニッツ著、清水富雄・竹田篤司・飯塚勝久訳「モナドロジー」『モナドロジー形而上学序説』中央公論新社、2005年、22頁。

[16] 同上、23頁。

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